(honto)
今回は「思い出」
太宰治では極めて重要な作品になります。
後に出てくる作品の根幹となる部分が目白押しです。
山ほど述べたい事がありますので、本題に移ります。
文字読むのが面倒くさい方用↓ラジオ形式。
人間失格、三部作
太宰治の代表作といえば「人間失格」ですが、ここに至るまでの経緯があります。
その一作が、本作「思い出」。
同じ「晩年」に収録される「道化の華」。
この三作は、ほぼ同じことを書いています。
ん。
三部作と書きましたが、リメイクです。
まず初めに「思い出」があり、これは純粋な自伝になります。
太宰はこの自伝について、色々と思うところがありました。(この点については「道化の華」で出てきます)
そこで、書き直します。
書き直すというより、続編を書きます。
それが「道化の華」
只、単に続編を作ったのではなく、自分自身をキャラクター化します。
私は「作品化」と呼んでいます。
自分を作品に仕上げるのです。
なぜ自身を作品にしなければならないのか? ◀ここがポイント。
理由はかなり複雑で、かなり簡単です。
恥ずかしいから。
でも、自信があるから。
この二つを上手く使った一句が、太宰の代名詞ともなる言葉になります。
恍惚と不安
選ばれてあることの 恍惚と不安 二つわれにあり (ヴェルレーヌ)
太宰じゃなくてヴェルレーヌ(仏)の句なのですが、日本でも有数の超有名な一句であり、これが有名な理由は太宰が「葉」の冒頭で引用したからです。
それを知りつつ、先日の「葉」の記事で全く触れなかったのは、私の恍惚でしょう。
忘れていた、と言い訳はしない。
ヴェルレーヌ本人の句集より、「太宰が引用した」ことで有名になったと言っても過言ではないはず。少なくとも日本においては、これが事実。
太宰という人間、小説の内容、どこをとっても「恍惚」と「不安」が最重要のキーワードになります。
なぜ、そうなったのか?
この説明が最も成されているのが、本作「思い出」です。「思い出」から始まり、ほぼ全ての作品に登場する根幹の思想でもあるので、これを読まずして太宰を読んだことにはならないです。
では、太宰とは、どんな人間だったのでしょうか?
名家の生まれ
太宰がボンボンのお坊ちゃまだというのは、ウィキペディアや教科書やらで知っている方も多いはずです。
そんな他人の意見を聞くより、「思い出」を読んだ方が早いです。
自分で詳しく話しています。
名家に生まれるとは、こういうことだ!
って、恥ずかしげもなく述べています。
いや!
恥ずかしそうに述べています!
たった53P。見開きで27P。たったこれだけ。これだけで、彼がどんな人間だったか手に取るように理解でき、尚且つ、物凄い共感を覚えるはずです。
他人の吹聴を覗くより、本人の話を聞け!
太宰の9割が、既にここへ収められています。
具体的に上げて行きます。
人を見て、見られている
太宰に限らず、小説家の特徴、もしくは「小説家に向いている人」の特性ですが、とにかく人を仔細に見ています。
周囲の人間の視線や仕草を、事細かに見ています。
特に太宰は「名家の生まれ」だった為、周囲には下女下男(お手伝いさん)が仕えており、「お坊ちゃん」という視線だったり「兄弟の中での出来」だったり「立派になるには」という視線に囲まれて、常に見られる側として生きてきました。
同時に、太宰も彼等を見ていました。
見ると見られるは、相対関係にあるのです。
この心理状態が、詳細に書かれています。
「叔母さんは好き」「お母さん嫌い」「祖父嫌い」「長男嫌い」「弟は……後からちょっと好き」など、書かれています。
本作「思い出」は、これがメインのテーマです。
テーマは「家族」です。
中でも重要な話題は、
お父さんが怖い! でも、凄く憧れている。
これ。
「名家」と共に、太宰において最重要テーマです。
私的に本作で一番好きな言葉が
お父さんは青森の代議士であり、有力な名士です。
お父さんの顏に泥を塗りたくない!
でも、自分は芸術で生きて行きたい!
▲当時の太宰は漫画家、絵師を目指していました。
この葛藤が、ずーーーーーっと続いているのが、太宰です。
「ん? その話、今の小説家も同じようなこと書いてない?」
って思った方! 鋭いです。
そうです!
太宰が書いている事って、今でも「普通」に誰でも思っていることばかりです。
そこらの中学生に
と訊ねれば「サッカー選手」「歌手」「ユーチューバー」「AKB48」とか出てきますが、
「それは、お父さんお母さんも『絶対にそれをしろ』と納得してもらえていますか?」
と続けられて、答えられる子供は少ないはずです。
皆、苦悶に顔を歪めるはずです。
はい、この心境!
ここを書き写すのが、日本で一番うまかったのが、太宰です。
大人の臭い誉め言葉と、現実に落とし込められる順路への強制……。
他にも沢山出てきます。
それ、僕も私も子供の頃思ってた!
なんなら、「今でも思ってる!」って言葉が盛り沢山です。
家族や周囲の人間に対する感情の動きを、物の見事に書き上げているのが、本作の見所です。
さらに……。
不安が強すぎる!
太宰のイメージって「悩んでいる人」って思ってる方がほとんどかと思います。
正解。
悩んでる人です。
では、どのように悩んでいるのか?
女々しく悩んでいます。
勿論、太宰は男性ですしバイセクシャルでも無いので男性共感できる部分は多いです。
にしても、悩みが細かい上に、解決しない。
「いや、さっき『これはこれで解決しました』って言うたやん。また同じこと言うてるけど?」
みたいな場面が何度も何度もあります。
凄く女性的。
詳細は述べませんが……、「あぁー、地雷踏んだ」と毎日数百万人の男共が抱くあの感覚が、太宰の小説では多発します。
太宰の場合、自分で地雷を置いて、自分で踏み抜きます。
そして、見事に自分で設置した爆雷で爆発します。
これを「滑稽」と捉える方もいるでしょうし、「体張ってるな!」って思う方もいるでしょうし、「分かるわー」と共感する方もいるはずです。
この全てが同時に入ってきます。
太宰の面白さは、極端に高いプライドと、極端に悩みの多い感受性にあります。
とにかく、直球!
分かりやすい。誰にでも分かる、誰もが痛感した、誰もが目を伏せた自信の恥部を、全て晒してきます。
そして、堂々と悩んでみせます。
ここ!
太宰治は、夏目漱石と並んで日本の小説売上トップ2です。
漱石の『坑夫』でも少し話しましたが、この二人は、本当に読み手を選ばない。
誰でも面白い。
誰でも共感できる部分を、とことんまで突き詰めた形で文章にしてきます。
感極まって内容に触れてないので戻ります。
貧しい(家の)出の妻
話したい事が多すぎて語り切れないので、まとめにかかります。
文章であればもっと完結に話せるかとおもいましたが、台本なし一発撮りのYouTubeの方がまとまった話をしていた気がします(笑)
この先の作品で「貧しい出の妻」というキーワードが何度も出てきます。
その理由が分かるエピソードは、本作の後半に描かれています。
「人間失格」において、妻が強姦されてしまいます。
そのようなストーリーになった理由も、本作に描かれています。
前半は「家族」、後半は「恋」の話です。
「恋」パートは、純恋愛の傑作です。
ここだけ読んでも、恋愛物として一級品の出来になっています。
その上、後の作品の根幹を占めるエピソードです。
「萌える」話ですし、ここを知らずに「太宰読んだけど?」って言って欲しくないので、絶対に読んでください。
恋愛もの、です!
その上で「貧しい出の妻」は頭の片隅においておいて下さい。
太宰のワードの中でも、凄く重要です。
次々回「列車」で詳細を話します。
そしてもう一つ。
「私」の名前は、「治」
本作の主人公の名前は「治」です。
太宰の「私(自伝)」シリーズで「治」となっているのは本作くらいです。
この後からは
「大庭 葉蔵」
に変わります。
こちらについては「道化の華」で語りますので、一先ず、「思い出=治」とだけ記憶しておいて下さい。
まとめ
まだ全然書ききれていないですが、後の作品で補足します。
本作は自伝の中でも初期に書かれた作品で、一般的な自伝に近い形式を取っています。
故に、
「なぜ、太宰は悩むのか?」
この根幹が至る所に書いてあります。
だからこそ、「晩年」という初出版作品の、実質初めの作品となっています。
「人間失格」の補足にもなりますし、後半のラブストーリーは健気な青年の悩みが書かれますし、尚且つ短編ですし、読んで欲しい作品です。