小説を旅行カバンへ 【 坑夫 夏目漱石】 感想レビュー




旅行の行先を決める時、どうしても目的が欲しい人がいます。

YES、私です。

概ね、趣味である小説に絡めて旅行先を決めています。

聖地巡り? という奴でしょう。

映画やアニメ、漫画などのロケ地に行きたいとは思いませんが、小説だと、そこに行きたいと思ってしまいます。

 

映像が無いからです。

 

頭の中の想像と、現実のズレを確認する……。

そんな、哲学的な趣があるのです。

 

うんうん。

特に男性に多い旅行先の選び方ですね。

漠然と旅行するって、男性は苦手な人が多くて

 

(女性)「どこに行きたいの? 決めて!」

 

このアンサーで最も多い解答は

 

「どこでもいいよ!」

でしょう。しかも、ほんのり切れ気味で。

本当に、どこでもいい。

どこに旅行に行きたいとか、マジでない。

てゆーか、行きたくない。

 

そんな圧倒的多数の男性は、無理やり、旅の目的を作ります

 

その時用の資料に、雑学と小説書評を記します。

コロナ明けの旅行で、より良い思い出ができるように願って……。

 

旅行カバンに小説を……、シリーズ。第一弾。

本日は

 

「夏目漱石 坑夫」

 

旅行先は、日光

西の京都、東の日光(栃木)。

定番中の定番で、コロナ明けすぐに人でごった返しそうな観光地です。

 

只、日光からちょっとだけ足を延ばして「足尾銅山」へ向かう人は、それほど多くありません。
(まぁ、それでもそれなりに人は多いですが)

 

日本最大の銅山。

キング・オブ・鉱山。

 

足尾銅山。

引用 日光観光協会 →公式HP http://www.nikko-kankou.org/spot/28/

 

江戸時代から四百年も続いた鉱山ですが、こちらを扱った作品は多くありません。

有名作品は、一作品のみ。

それが本作 「坑夫」 です。

 

只、本作、漱石の作品の中でも異色中の異色です。

 

銅山の説明看板でも「漱石の『坑夫』に昔の事が描写されているよ」と書かれています。

ですので、解説します。

この説明を見た時に、妻や子供へ最大の蘊蓄が述べられるように……。

 

 

あらすじ

 

主人公の「私」は、女性関係のもつれから、東京の裕福な実家から逃げ出した。
私まだ仕事を始める前の19歳だったが、この先の人生で社会に揉まれる気力が無くなり、漠然と、華厳の滝で自殺でもしようとさまよっていた。
幾許か歩いていると、ポン引き(※スカウト、キャッチ)に声を掛けられる。「稼ぎたくないかい?」どうせ自殺する予定だし、話には聞いていたこの世の地獄、に落ちるのも悪くない。
などと、軽くポン引きの誘いに乗る。
私は鉱山へと連れていかれるのだが、到着までの道中に合流してくる連中は、乞食や宿も無い少年。
宿泊する宿もカビだらけ。
お坊ちゃんの私は、辟易する。そうして辿り着いた銅山で、私は、尊敬できる人物と出会った。

 

 

こんなところです。

本作、勿論、純文学ですので、見え方は人によって異なるはずです

かなりごちゃごちゃに書いてあるので、読み辛い人も多いかもしれません。

小説家になろう風に要約すると、

 

お坊ちゃんのニートが、不倫をして世間から爪弾きになり、自暴自棄になっていたところを足尾銅山のキャッチに捕まって入山してみたら、凄い人物と出会って、その話を小説家に売って大儲けしました。

 

です。

「その話を小説家に売って大儲けした」は、次項で説明します。

別に大儲けではありません。

盛りました。

 

説明します。

 

 

夏目漱石のプロ転向 第2弾作品

 

本作は、漱石作品でも異質な作品です。

そもそも、漱石という作家は非常に作品形態幅が広く時期によって書き方が異なる作家です。日本版ピカソです。

その上、すっごく分かりやすいです。まさにピカソです。

バラエティに富んで、文章も読みやすい。ピカソです。

だから、今尚、日本で一番売れた作家を太宰と争っているのです。

そうなった理由は、彼が「教師」だったからでしょう。

人に教えるというのは、伝える事に特化する職業です。

何をどう言えば、書けば、伝わりやすいのか? その基盤は、教える事で培われたのかな? って思います。

 

処女作は「吾輩は猫である」(1905年)ですが、この当時はプロ作家ではありません。本職は東大と明大の教師です。

プロ作家の定義を「書く事で生計を立てる」だとすると(所謂、職業作家)、朝日新聞に入社して書き始めた、

「虞美人草(ぐびじんそう)」(1907年)が初プロ作品。

その次の作品が、本作「坑夫」(1908年)です。

この二作品は、対になる作品であり、漱石の中でも重要な作品です。

「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「こころ」などのようなビッグネームではありませんが、知る人ぞ知る名作

というより、漱石の本性が出ているんですね。

 

その一つが顕著に表現されているのが「華厳の滝で自殺」という主人公の設定。

 

皆様ご存じでしょう。

 

藤村操(ふじむら みさお)

 

「巌頭之感」という遺書を木に堀、華厳の滝から投身自殺しました。

1903年なので、本作執筆の数年前です。

彼は、東大での漱石の教え子であり、人生を変えてしまった人物です。

後に、漱石が鬱病に悩まされる原因となり、教師を辞めて作家業に専念する事になったキーマンです。

 

本作の主人公も、華厳の滝で自殺する目的を持っています。

 

この一件が、どれほど漱石にとって重大な件だったのかが分かります。

只、本作の主人公は「命を絶つ」という選択を最終的には止め、別の解決を目指します。

この辺りに、藤村への漱石の問答が見えます。

 

本作の特殊性は、まさにここ

 

漱石の、理性本性の葛藤。

 

理性に富み、人へ伝える能力に特化した漱石が、めちゃくちゃな構成で書き綴っています

 

 

異質な構成

 

最早、構成なんてあって無いようなものです。

起承転結とか、三幕構成とか、伏線とかプロットとか、そういう下準備無しで分かりやすいは作れないです。

ここに特化した人物の代名詞こそが夏目漱石です。

 

でも、本作は、そうじゃない。

いや、そうしようとしているのだけれど、そうなっていない。

 

主人公が、あまりに流されやすいのです。

思想も思考も定かではありません。

脱線してしまいそうな話なのですが、崩れそうになると、

 

「こうじゃない! 考えろ! 今私がこうしているのは、こうこう、こうこうで……」

 

といった様子で、理性を持ってして踏ん張ります。(話を戻します)

でもまた虚ろになり、死んでしまいたい……、嫌、駄目だ! だってこれは人の持つ汚さの極であり、どうたらこうたら……

 

この話が、8割を占めます。

 

タイトルは「坑夫」です。

なのに、いつまでたっても鉱山に到着しません

「鉱山に行くまでの話」が、大半です。

 

そして、付いた途端に鉱山内で、遭難します。

で、そこに仏(凄く良心的な人)がいます。

で、終わりです。

 

初めて本作を読んだのは中学生の頃でしたが、

 

は?

 

って感じでした。

「坑夫」なのに、銅山での暮らしとか、ほぼ無いです。(虫に刺されたり、タイ米食うくらい)

行くまで8割、行った初日1割、坑内で遭難が1割。おわり。

 

構成としては極端すぎます。

現代なら、余裕でボツくらいそうです。

 

只、ただ!

 

なんだか分からないけど、むき出しの本性が怖い。

 

本作の想定としては、

→ 鉱山を地獄と見なし、地獄へ行くまでに人生を回顧する。

→ 地獄で遭難する。(おいてけぼりを喰らう)

→ 地獄であっても、光明を見出す。

という、簡潔な筋書きだとは思います。

 

でも、書いてある文章や思想がいちいちブレていたり、また戻ってきたり、定まっているのか定まっていないのか分からない……、でも、なんだか凄い!

という、底知れぬ生命力を感じます。

 

本作での鉱山内の様子は、只々、地獄でした。

 

地獄とは、ひたすら暗く、先の見えない行路なのでしょう。

そう表現したかったのか? したかったはずですが、それ以外の力強さもあります。

不思議な力を持った作品

というのが、率直な印象です。分かりやすさ特化の漱石作品の中でも、かなり異質です。

「不思議な」を言語化するのがめちゃくちゃ上手いのが漱石なので、本能で書いている部分が非常に多い形態が、異質なんです。

 

こういうのは、太宰がやるやつです。

 

 

 

異質② 数少ないドキュメンタリー(実話ベース)

 

本作は、とある人物の実話? を元に作られた作品です。

所謂、ドキュメンタリー。

漱石は、こういうのしないんです。

空想物と現実をまぜる曖昧さを嫌うのでしょう。

 

でも本作は、実話ベースです。

これを漱石へ持ち込んだのが、本作の主人公「私」です。

「私」は、鉱山から帰った後に、「この話、ネタになりませんか? 先生!」と言って売り込みます。色々あって、漱石もこれを受けます。(この辺りはウィキペディア参照)

この流れで執筆に入ったというのも、本作の特色です。

普通の作家ならば

 

「俺、アルカトラズ刑務所から脱獄してきました。それ、ネタに使えませんか?」

と言われれば、

「何それ、超おもしろーい!」

で食いつきます。

珍しく漱石も食いついたのに、ストーリーらしきものが無い

 

そう。

本作に、ストーリーというストーリーはありません

これも私の知っている漱石ではありません。

「状況」という器を目の前に置き、中に注がれる白湯でも眺めているかのような作り。三島っぽいです。

 

この辺りの考察は、ガチ先生達がやっているので、探してみてください。

漱石作品の中でも、特に研究論文が多いのも本作の特徴。

 

で、ストーリーが無いので、若い人は面白くないかもしれません。

人生の苦難を奥歯でにじり潰すようなカタルシスを持つ作品なので、苦労の末に読むと、すごく清々しいです。

 

 

村上春樹の愛読書

 

今現在、本作の知名度が保たれている大きな要因がこれ。

村上春樹氏「海辺のカフカ」

 

こちらにて、「私の一番好きな作品」として、「坑夫」が名指しで取り合げられています。

おっしゃられている事も、大体こんな感じです。

 

「なんだか分からんけど、凄い」

 

うんうん。

綺麗なお話では無いです。

でも、辛いだけの話でもないです。

鉱山書きたかっただけの作品でもないです。

 

取り上げて表現するなら、「なんだか分からんけど、怖いんだよ(凄いんだよ)」

 

怖い、も違うかもしれないです。

魂の在処を探している、魂の無い男の話……って感じです。

 

漱石って、こういう魂派の作家じゃないだけに、余計にリアリティがあって、知る人ぞ知る漱石の真髄! という作品だと思います。

 

 

まとめ

 

ほぼ「すごい」とか「こわい」とか「なんだか分からん」みたいな感想になりました(笑)

色々とこじつけても良いのですが、きっと、こういう風に読んで欲しいだろうなーと思い、そういう風に読みました。

 

漱石はビッグネームですので、メジャー作品は多いです。

が、この辺りを好きな作品で上げてくれる方に出会うと、嬉しくなります。

 

「坑夫」の主人公「私」が、人生について、世界について、何をどう捉えながら鉱山へ向かったのか?

 

それを追走するというのも、旅の目的としてはありだと思います。

因みに、私が銅山に入って初めに発した言葉は、

「地獄や」

です。

一度、直に観ておいた方がいいです。

 

そして、これをつぶやく度に思い出して下さい。

 

「本当に、地獄?」

 

反芻する度に、魂が揺れます。

 

 

おまけ 今回(コロナ前)の宿舎

昔ながらの旅館です。民宿って感じです。

すっごく綺麗な旅館を探している方は、他に沢山あるので他で探して下さい。

如何せん、部屋に案内される時、なぜか屋上に一度出てから部屋へ案内されました。

他に部屋へ行くルートはあるのに、なぜか、一度屋上に出されました。

こういうの、大好き!

お茶目で愛嬌のある従業員さんばかりでした。

 

特筆は、値段の割に、料理が凄い

何種類出てくるの? 

食べきれないほど出てきました。

あれだけで大満足です。(100%湯葉が出てくるので、昼に湯葉は食べないように)

 

後、立地最高。華厳の滝に歩いて行けます

 

足尾銅山は、日光王道ルートの東照宮~いろは坂~華厳の滝から少々外れているので、車で20分くらいかかります。

レンタカーあった方がいいです。

付近に名瀑が沢山あるので、小回りできれば1泊2日でほぼ網羅できます。

(華厳の滝)

※華厳の滝のエレベーターは、絶対に朝8時くらいにいくべし。込んでないし、燕みれるし。

(龍頭ノ滝)

 

バッチのガチャも忘れずに。