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おすすめランク A
こんな人にオススメ ⇒ 映画に賛否を提唱したい方。古典SFを知りたい方
キャラクター | 3.5 |
脚本 | 3.5 |
映像 | 4 |
構成 |
4 |
評価点 77点 |
【あらすじ】
新惑星への入植を目的として、巨大宇宙船で宇宙を航海する5000人の人間達。
彼等は冬眠カプセルで人口冬眠をして、120年の航海を行っていた。
とろがある日、巨大隕石の衝突によりエラーが発生。
一人の冬眠カプセルが故障し、男は強制的に目覚めてしまった。
目的地まで、まだ90年。
広い宇宙の真ん中で、人生を一人で過ごさなければならなくなった男がとった行動とは……
2017年 ほんのりSFファンを賑わし、批評界から駄目だしを受けた作品。
アカデミー賞2部門取ったのに、特に何も触れられなかった作品。
これがSF界隈の現状だと思うと寂しくなるので、私が取り上げます。
パッセンジャー
作風としてはベタな古典SFです。
昭和SFの匂いがプンプンします。
何かのどこかに特化しているシーンは無いのですが、バランスの取れた優秀な作品。
昭和のSFオジさん達は、「あ、これこれ!」と懐かしく感じる事でしょう。
他でも述べましたが、SFは観ておいた方が良いです。
好きか嫌いかは関係なく、発想の転換、想起の方法がふんだんに取り込まれていますので、人生や価値観への影響も大きいです。
クリエイターや経営者など、創造を必要とされる仕事をしたいのであれば、観ていて損はありません。
映画や漫画ファンも、SFを知っているのとそうではないで、考察の深度が変わります。
より良い鑑賞、読書体験を送る為にも、SFを見て欲しいです。
そんなSFの基本要素が丸々入った本作。
絞ってみて行きます。
point① 綿密な構成プラン
point② 極論 孤独と罪
point③ 結論 罪と恩赦
この辺りを中心に考察します。
point① 構成プラン
この一年くらいアマチュア作家の書評、考察をしておりますが、多くの作者様に共通して言える事があります。
プロットというのは、作品に取り掛かる為の設計図のようなもので、粗筋の詳しいバージョンです。
どのページ数で、どういう展開が成される、だからこのページでこういう演出が必要で、これがここの台詞に結びつく……、という簡単な粗筋です。
一般の仕事でも、「段取り8割」と言われています。
実際に行う作業よりも、設計図と作業工程のシミュレーションが全体の成功の内8割を占めます。
段取りの段階で「あ、これ成功する」「あ、これ失敗する」その判別ができるという事実は、社会経験豊富な皆様は御理解の事と思われますが、シナリオ製作でも同じです。
シナリオ作成は、才能だけでバーンと勝負する世界だ!
とかいう迷信が蔓延しているようですが、んな事ありません。
他の職業と同じです。
企画書も予算表も無しに「俺の腕を信じろ。俺は、これだけでやってきたんだ」とか言う人に、仕事を任せる人は、ほぼ皆無でしょう。
ハリウッド並の云十億、云百億円の資金が動く現場であれば当然にプロット、企画書は必須です。
頭では分かっても、書けないのはなぜでしょう?
アイディアが足りていないからです。
アイディアが無数にあると、整理するのが大変です。あれもやって、これもやって……んん、全部やりきれない!
このくらいまでアイディアが出て、初めて脚本(初稿)に取り掛かるべきですが、多くの人は「途中を考えてないけど、書いていればどうにかなるだろ」で、やり始めます。
だから、WEBサイトの作品は長編ばかりなのです。
趣味ならそれで構いませんし、ご自身が幸せならそれで構いません。
が、多額の資金とその中で生活する人々がいる「職場」では、この考え方は不躾としか言いようがありません。
ドラマのメインは「人」ですが、アイディアは「保険」です。
保険を綿密に計算する必要があります。
そして、これを強制されるジャンルが、「SF」と「ミステリィ」。
どれだけ綿密な計算をしているのかが問われる、稀有なジャンルです。
本作、冒頭で、批評家からは散々な評価だったと述べましたが、その理由が「科学的根拠の不備」と「設定不備」です。
私は科学者ではないので、設定不備が目につきました。
本作の大前提の設定は「惑星間移民」です。
地球からイスカンダル……じゃなくて、どこかの星へ宇宙船で移民する話です。
典型的な昭和SFスタイルで、私が初めて読んだSF作品「宇宙の孤児(ハインライン)」が代表作です。
本作「パッセンジャー」は、巨大な宇宙船で、新惑星を目指します。
航海期間は120年。その間、乗組員は「冬眠」します。
しかし! 隕石が宇宙船に衝突し、冬眠カプセルが不具合を起こし、一人だけ冬眠から覚めてしまいます。
しかも、航海はまだ三十年しか進んでおらず、目的地までは90年あります。
一人だけの人生を余儀なくされた主人公!
広い宇宙船で、孤独な彼は、どのように行動したのか!?
ってのが、メインストーリーです。
はい、ここ。
この辺りで「?」です。
なんで、一人?
隕石が衝突したり、システムエラーが出たとして、それがなぜ、一人だけにしか影響しないのか?(他に乗組員は5000人もいる)
しかも主人公の男は一般のお客様です。
客の冬眠が解除されたのに、メンテナンス、修繕を担う技術員はなぜ目覚めないの?
そこをロボットで補うとして、なぜ、ロボットは彼を冬眠に戻せないの?
なぜ、宇宙船のトラブルをロボットで解消できないの?
この辺りのご都合主義が、批評家の不満を買いました。
んん、まぁ、そっか。私でも疑問に思ったくらいです。指摘ガチ勢は不満でしょう。
私的にはどうでもいいのですが、SFやミステリィの敷居を上げているのは、この辺りの批評ですね。
SFやミステリィは、綿密に矛盾なく組み上げる事を前提にしていますので、「不備」なんていう人的ミスでのアイディアは、基本的に駄作とされます。
歴史上、世の中の大事件のほぼ全てが人的ミスなのですが、SF界ではそれが認められない傾向にあります。
執拗な指摘をしてくる指摘ガチ勢に配慮して、「なんちゃってSF」感を出さなければならないのも、生きづらさの一因です。
スターウォーズが「フォース」とかいう念能力を設定したのも、タイタニックが「恋愛」に偏向したのも、こういうウザイ指摘ガチ勢を遠ざける為です。
本作のメインは、主人公の孤独。
あくまで、ドラマなんで! 人間の心模様が最重要なんですが!?
科学考証はあっても無くても本質に一切影響はないのですが、ガチ科学考証勢はこの辺りの塩梅が理解できないようです。
ガチシナリオ考察勢から言わせてもらうと、こういう精神的に稚拙なガチ勢のせいで、SFが絶滅の危機に瀕している事実を理解して欲しいです。
本作の見所は、「旅をする宇宙船」ではなく、「一人で一生を過ごさなければならなくなった人間の悲劇」です。
であれば、「SFじゃなくても書けるでしょ?」っていう話にならない批評が来るのは、プロット段階で想定できていたはず……、ですが本作は、あえてそこに立ち向かいました。
こうでもしないと、SFが残らない。
正直、ハリウッドクラスの面々が「一人で生きる孤独」を書こうと思ったら、いくらでも書けます。別にSFじゃなくても書けます。どんなジャンルに設定しても書けます。
でも、SF特有の広大な孤独は、なかなか難しいです。
批評上等!
で作っているのは間違いなく、これに立ち向かった心意気が感じられたので、SFファンをざわつかせたのです。
正直、設定云々は「ダサイな……」と思いましたが、心意気に熱いものを感じました。
point② 極論 孤独と罪
別にどのジャンルでも目的は達成できるのに、敢えて「SF」にしたのはなぜか?
極論を書けるからです。
極論って、意外と難しいです。
シナリオ上、「台詞」の説得力は、「環境」に依存します。◀重要
極論を突き詰めるには、極限の環境を必要とします。
現状、リアリティを持って極論を話す場は、SFくらいでしか用意できません。
他もありますが、視点がズレるので簡潔に表せません。
映画とは、時間との闘いです。かつ、映像作品です。
最短で、簡潔に映像で表現するのであれば、SFが最適解です。
ですので、未だに、こうしたSF作品が作り続けられます。
本作の極論は、
「人は、孤独と罪を天秤にかけられるか?」
冬眠カプセルから一人だけ目覚めてしまった主人公ですが、彼はスキルとして「技術者」という側面を持っています。
技術があるので、「他の人を目覚めさせる能力」を持っています。
一生、一人で生きていきますか?
道ずれを作りますか? (作る事が可能です)
ぶっちゃけ、選択肢にすらなっていない問いですが、これが主題です。
彼はこの問いを、一年悩みます。
この問いですが、極論ではありません。
私なら、即座に全員起こします。
即座に。
現代の普通の人間の思考であれば、私の方が正論です。
まともな精神を維持して、一年悩んだだけでも、彼は聖人です。
ココ、重要。
この主人公、かなり優秀な人間です。
自身が追い詰められた状況で、他者の幸福、人類の未来性、そこに干渉する己の罪……
つまり、人類と、自身とを天秤にかけています。
宇宙船という小さな箱の中で、壮大な未来図を天秤にかけています。
この反比例するスケールの対比こそ、極論の凄みです。
単に、自信の傲慢を突き通す事が極論ではありません。
大小の極致を、膝を突き合わせて検討するのが、極論です。
「この主人公、めちゃくちゃ賢いなぁ」と思いましたし、演出もそれに寄せていましたので、狙いはここでしょう。
では、どのような演出で表現したのかを観ていきます。
point③ 結論 罪と恩赦
孤独に苛まれた主人公は、美人の女性を眠りから起こしてしまいます。
この時の演出に賛否両論が分かれます。
状況的に、冬眠から起こすは、=で殺人と同じ意味を持ちます。
自分以外の人類が居ないという、地獄へ道ずれにするからです。
なのに、自身を隠蔽しない。
普通に考えて、罪を犯す前に色々と整理をするはずです。
「1年前に目覚めていた」は、不要な情報で、こんな事を言ってしまえば疑われるのは間違いありません。
しかし、その隠蔽をしません。
それだけ精神状態がまともではなかったという演出だとは思うのですが、他の見方もできます。
彼は、罪を認識しており、それによって咎められる事も許容していた。
おそらく、こちらが本旨です。
実際に犯罪がバレた際にも狼狽はせず、一切の言い訳もせずに受け入れています。
賛否のある態度でしょう。開き直っているように見える視聴者も多いはずです。
逆に、罪を罪として認める懐も垣間見えます。
乗組員のクルーが目覚めた際も、これを一切隠しません。(この時点でヒロインにバレているというのもありますが)
罪深い主人公ですが、最後は贖罪に、命を賭して人類を救おうとします。
どのような罪、課題、責任からも逃げず、全てを受け止める主人公。
キリスト教的な思想が全開で出ています。
ココ重要
本作のもう一つの特徴、
宗教的な背景思想が強い。
実は、これもまたSFではあるあるパターンです。
またもハインラインになりますが、宗教観念を、物語を通して考察するのも、SFの王道パターンです。
本作もその試みが成されていて、状況と主人公を通して宗教的な価値観が展開されています。
だから、設定不備が目立ちます。
設定はあくまで仕掛けの一つであり、メインプロットではありません。
本作の最大の論点は、罪を犯した人間が、許されるのか許されないのか、にあります。
乗組員のクルーは、許されないが、許すべき、という中間位置を取っています。
ヒロインは許さない立場から、最後は許す答えを出します。
主人公の考えは、提示されていません。
提示されていないのは、そこを視聴者に考えて欲しいからです。
科学考証とか、設定不備とか、そんな箇所を突く価値は皆無ですが、思想の賛否を問う価値はあります。
んん……。でも今風では無いですね。昨今の視聴者は結論を言ってもらわないと考えられないので、もっと明確に制作陣の答えを出してしまっても良かったと思います。
SFに市場があれば、結論を口に出すとかダサイ事をしなくてもいいのですが……現状は口に出さないと評価されないので、仕様が無いです。
本作の評価が上がらなかったのも、口に出さずに客に考えさせたからでしょう。
色々と残念でした。
もはや古典SFは絶滅危惧種に認定されていますが、そうなっている大半は「読み手側」にあります。
簡単で安易で思考停止でストレスなく観られるものにしか、時間を使ってくれません。この状況下で、古いSFスタイルを投下したのは勇気が必要だったでしょう。
SF補完計画の一員としては、応援したい映画でした。
古典SFってこういうもの! って雰囲気も味わえるので、知らない方は観て欲しいです。基本的な要素が概ね入っていますので。