文学おじさんのマイフェバリット小説 【晩年(太宰治)】 魚服記

(honto)


『 魚服記(ぎょふくき) 』

 

太宰治『晩年』第三段です。

この話は太宰作品の中でも人気作です。

私も中学の頃に『晩年』を読んだ時に、一番印象に残っていた作品。

今になって読むと一番では無いのですが、その理由も含めて解説します。

 

※ネタバレします。毎回100%ネタバレしていますが、今回も全力でネタバレします。

 

あらすじ

 

山中に暮らす父と娘のスワ。
スワはある日、山を登る学生の転落事故を目撃する。
学生は目をつぶり、口を開け、滝壺へ吸われていく。
またある日、きこり兄弟の口伝を聞く。兄弟の一人が大蛇になってしまった話。
そうこうとしている内に、スワも少女から大人の女になってゆく。
そんなスワに、ある事件が起きる。
事件を起に、スワは滝へと走る。
滝へと入水すると、スワは鮒(ふな)へと変貌してしまった。

それから鮒はじっと動かなくなった。……。
やがてからだをくねらせながらまっすぐに滝壺へむかって行った。たちまち、くるくると木の葉のように吸い込まれた。(原文ママ)

 

 

ずっと鯉(こい)だと思っていたのですが、鮒(フナ)でしたね(笑)

内容は「変身」ものです。

定番の作品形態ですが、いくつかパターンがあります。

カフカ「変身」のように、朝起きるとなぜか巨大芋虫になっていて、芋虫生活を語るパターン。

この場合、芋虫状態での生活が主題ですので、冒頭から芋虫です。

 

もう一つ。「人虎伝」中国で多い形態で、人が虎に変身してしまいます。

日本ではこちらが飛び切り有名です。

中島敦氏「山月記」

こちらの形態は、虎の生活よりも、虎になってしまった経緯がメインプロットです。

 

本作「魚服記」は、後者のパターン。

鮒の生活ではなく、鮒になる経緯がメインプロットになります。

 

構成も分かりやすいです。

 

起 → 学生の事故をスワが目撃

起② → 大蛇伝説にスワは憧れる

承 → 父と娘の生活。スワは不満がある。

転 → 父に強姦される。

結 → 滝に飛び込み、鮒になる。(学生の事故状況と、大蛇伝説を回収)

 

あぁ、転を書いてしまいましたが、これは後で説明します。

本作、短編ですが、構成自体はシンプルなものです。

只、書き方としては、優しくない。

核心部分をほぼ書いていません。

 

その点について……。

 

 

少女から女性へ

 

最も分かり辛い部分が、ココ。

とはいえ、唯一本文に書かれているストーリーですので、一読すれば目は引きます。

只、書かれているのがストーリーだけなんです。

ストーリーというのは表面的に動いている「事態」ですので、これだけで人間の説明はできません。

内面的な変化を伴って初めて、シナリオは成立します。

 

この内面が、ほぼ書かれていません

故に、色々な考察ができてしまいます。

読み手によって、如何様にでも捉える事ができます。

ですので、「この文章、この描写をこう捉えてしまうのは正解なのか?」と、悩まされながら読むことになります。

とても純文学的な書き方といえます。読み手の年代や環境で、見え方が異なるのですから。

故に議論も多くなりますし、十年振りに読んだら違う見え方があった! といった深いお付き合いができる作品ですので、人気が出るんですね。

 

さて、もう一つ、分かり辛い点。

 

 

スワに起きた事件とは?

 

ここも難解です。

難解な理由は、「書いてないから」に他なりません。

 

疼痛(とうつう)。※原文ママ

 

これしか書いてありません。あと、行間が1行空けてあります。これだけ。

私は上述「強姦」と書きましたが、それも定かではありません。合意の元の可能性も全然あります。

だって、書いてないから。

 

前後の感情部分が全く書かれないのです。

最後の文章でも

 

それから鮒はじっと動かなくなった。……。
やがてからだをくねらせながらまっすぐに滝壺へむかって行った。たちまち、くるくると木の葉のように吸い込まれた。(原文ママ)

 

スワが何を考えたのかは、述べられていません。

書かれていないからこそ、読者は自由に語れる権利があります。

こういう作り方を初代ガイナックス社長の岡田斗司夫さんは「ハイドラマ」と呼ばれていました。

 

ストーリーで語らず、背景で見せる

 

って事です。

この典型的な製作パターンも、本作には含まれています。

 

 

秀逸な風景描写

 

書かずに語るのは、非常に難しいです。

ストーリーで引っ張れないので、別の何かで読者を牽引する必要があります

本作では、風景描写

 

とにかく、美しい。

 

山々の書き方、大蛇伝説の書き方、スワの言葉や仕草、暗い滝壺の様子……。

などなど、本当に美しいです。上手です。

こういう、ストーリーや心情変化以外のメインでは無い部分の描写で物語をもたせられるというのが、文才といえます。

 

まぁ、太宰は後に「こういうのを文才と呼びたくない」と駄々をこね始めますが(笑)

 

 

ハイドラマ的「これを書いておけば分かるでしょ?」

 

ハイドラマの作り方で、パターンを提示しておく方法があります。

もっともベターです。

本作では

・変身ものである点を序盤に提示。(大蛇伝説)

・変身するのが「鮒」である理由も提示。(学生の事故)

 

ここまで書けば、後は分かるでしょ?

だから、書かない!

 

長編でこれをされると辛いのですが、短編ですので切れ味抜群です。

印象的な風景描写、印象的なラストシーンなど、印象が強い部分だけが抽出されます。

これが、凄く洒落てるなーっと感じます。

 

 

まとめ

 

全体のプロットは分かりやすいですが、本文は難解です

難解というよりは、幾らでも解釈ができてしまいます。

 

という事は、何度でも読めます

 

私も十数年に一回のペースで読んでいますが、概ね毎回違う感想があります。

まさに、純文学。

美しい描写もあいまり、人気になるべくしてなっている傑作だといえます。