「護られなかった者たちへ」から読み取る、小説、映画の違い

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よく映画を観て「原作が良かった」という方がいます。沢山います。

その理由について解説してみます。

今回は「護られなかった者たちへ」を題材にします。

というのも、この前映画を観ていて「こんな内容だったけ?」と思って読み返したら相当に脚色されていたので、そこを話して見ます。

 

小説版「護られなかった者たちへ」著 中山七里

あらすじ
仙台市内で両手を拘束されたうえ四肢や口をガムテープで塞がれ、餓死した状態の遺体が発見された。被害者は福祉保健事務所の職員。
そのまた後日、同じ手口で県会議員が殺害される。この男の前職は福祉保健事務所。この関係性から、警察は福祉保健事務所を中心に捜査を始める。その中で、生活保護と役所の実体が分かって来る。
そして捜査線上に、利根という男が浮かび上がってきた。
利根を犯人だと決め捜査をする笘篠は、ある事実に突き当たった。

 

評価 B

 

まず、本作は警察物です。また、帯などでも「社会派ミステリー」と呼ばれる内容になっています。

生活保護の実体が大きなテーマになっています。ミステリー云々よりも、貧困者と役所との関係性にフォーカスしており、そこにドラマ性を見出しています。

予算が無くて生活保護を却下しないといけない役所の人間と、食べる物がティッシュしか無い人間、その狭間に立たされた人間という構図であり、本作の帯やらに作者コメントで「読み終わっても犯人が分からない」とある通り、物理的な殺人犯は居ますが、犯行動機になった件は社会全体の問題です。

また、今作はW主人公制で、刑事の笘篠のほかに、もう一人、利根という主人公が出てきます。この主人公は善人ですが、正直すぎて喧嘩や放火をしてしまい前科が付く人間です。

この利根は貧困層であり、本文「貧乏な家に生まれたら、貧乏に生きるしかない」とあり、これも現在社会問題とされている格差社会の問題です。

こうした貧困について向き合った作品と言えます。

貧困の話が8割、ミステリー2割くらいです。

なので、犯人はけっこう誰にでも分かると思います。

「ドンデン返しの王が!」とか編集が煽っていますが、小説を読み慣れている人ならドンデンの内容も含めて想像できるはずです。

それよりも、痛烈な社会問題を物語として追体験させられるところに、本作の価値があったと思います。

 

と、いうのが小説での内容です。

 

映画版「護られなかった者たちへ」

あらすじ
東北震災により家も家族も無くなった利根(主人公の一人)は、似た環境の老婆と少女と暮らし始める。仕事が見つかり、一人暮らしをしている中、里帰りをする。するとそこには、栄養失調の老婆の姿があった。生活保護を申請するよう老婆を説得する。その後、老婆が餓死してしまう。
役所に聞くと老婆は自ら辞退したらしい。餓死寸前の人間が辞退するはずがないと、役所を逆恨みする利根と少女。
それから8年後、老婆の生活保護担当者が、餓死死体となって見つかった。

 

評価 B

 

まず大前提ですが、2時間映画にぴったりの尺になる小説とかありません。長いか短いかです。本作だと、小説の方がかなり長いです。たぶんですが、まともにやると4時間分くらいです。

なので、半分削ります。が、半分も削ると別作品になってしまいます。よって、テーマやらストーリーライン、設定すらも、ゼロから作り直すくらいの事をやります。

特に本作で大きく変更されたのは、キャラクターとテーマ性です。

キャラクターは一目瞭然です。

あるキャラが男の子から女の子に変更なったり、笘篠(刑事)が無骨の荒くれもの刑事に変貌しています。老婆もてやんでい調から普通の良い婆ちゃんに変更。刑事の相棒も何かキャラついたり……。ほぼ全員変わっています。

男の子から女の子に変わった理由は、知りません。大人の都合でしょう。

只、その他、笘篠がキャラ編した理由は、あるあるです。ちゃんと理由も分かります。

小説って、基本的にキャラが弱いです。絵が無い上、心の声でゴリ押すのでキャラが弱くてもなんとかなります。本作は他にも利根という無口キャラも出ますが、これも小説あるあるです。脚本で無口キャラを作るとか考えられないです。

てゆーのも、キャラが無い人物だと何かと時間(尺)が掛かるんです。詳細は長くなるので言いませんが、兎に角、普通人間では映画の枠に収めるのが辛いのです。

もう一つ、演者がいるので、キャラなしの一般人とかだと演じられなくなる。小説のキャラが変更される理由は、おそらく、これが一番大きいです。役者さんからすれば、これ、どうやんの? ってキャラだと使いづらいですね。

特徴のあるキャラが、突如普通になるパターンも理由がありますが、またいつか語ります。

なので、「なんか変なキャラついてる」って言う人が多いですが、そもそも、小説に無さすぎるのが問題かもしれないです。

そして本作で一番大きな変更点「東北震災はメインではない」です。

確かに小説版も出てきます。舞台が仙台で、刑事の笘篠の妻子供が亡くなった設定はそのままです。

でも、利根側は違います。あちらは震災ではなく、単純な貧困が原因で疑似家族になります。

只、小説版でのこの利根側の経緯って、めっちゃ長いんです。ここがメインテーマでもあって、役所の人間の良い部分悪い部分が描かれ、同時に受給者側の良し悪しも書かれます。善悪は常に表裏一体だと描かれます。

ここが小説版のメインテーマですが、映画版はここがかなりすっ飛ばされます。

それよりも、家族の絆! みたいな分かりやすい所に落としどころを持って行きます。

これも尺が原因です。生活保護や格差社会という社会問題は実にデリケートで、映画といえども扱いが難しいです。かすめる程度に絡ませるなら、いっそ別テーマ、みんな大好き家族の絆!とかにした方が無難です。

「震災+家族の絆」

であれば、スポンサーは満足でしょ?

(原作者がNO出して無理になるかもですが)

 

そう。映画って、小説よりも利害関係者が多いので、そうそう簡単に斬新な事、好きな事はできないです。(映画はまだやりやすいです。アニメ、ドラマはもっと規制が強いです)

正直、本作の脚本、個人的には「んんー」な部分が多いです。でも、仕様が無い部分も往々にしてあるよなーって感じなので、否定的ではありません。

逆に良い部分もあって、最後のオチが原作とは異なっています。利根が警察に捕まった理由、ですね。

これも変更理由があって、原作を読んでいる視聴者は犯人が分かっているのですから、その分面白味が減ります。ですが、動機は変更できる。動機を変えるだけで、随分見え方が異なり、面白かったです。ここに関しては、原作より面白かったです。ナイスアイディア。

 

まとめ

 

結局、小説と映画で根本的な見せ方が異なるので、同じ面白さにはなりません。多くの場合が、尺の沢山とれる小説の方が面白いです。

というか、尺を上手く使いこなした方が面白いです。

「ジュラシックパーク」のように、映画が原作を打ち抜いちゃう事もあります。映像用の尺に上手く作り直したからですね。(これもかなり原作無視ですが……)

なので、私も原作(小説)と映画がある場合、どちらかしか観ません。どっちも見たい場合は、映画からをおススメします。カットが多い映画の方が大抵面白くないので。

 

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